TEL. 03-6280-8427
〒162-0844東京都新宿区市谷八幡町13東京洋服会館9階
沿 革 | 主要役員 | 活動紹介 |
沿 革 |
区 分 | 設立時期 | 名 称 | 備 考 |
地区支部 | 昭和54年12月9日 | 東村山市防衛協会 | |
女性部会 | 平成12年1月1日 | 東村山市防衛協会女性部 | |
青年部会 | 平成12年1月1日 | 東村山市防衛協会青年部 |
主要役員 |
区 分 | 氏 名 | 備 考 | |
会 長 | 倉 林 辰 雄 | 東京都防衛協会理事 | |
副 会 長 | 熊 木 敏 己 | ||
高 橋 照 定 | 東京都防衛協会理事 | ||
市 川 暢 男 | |||
安 藤 栄 子 | |||
事務局長 | 藤 崎 文 夫 | 東京都防衛協会理事 | |
女性部会長 | 小 林 美 緒 | ||
青年部会長 | 志 村 誠 |
活動紹介 |
会報22号特集 活動最前線 地区防衛協会コーナー |
東京都防衛協会会報22号(03.10.01)掲載 |
当協会は、令和元年十二月九日、多数のご来賓及び会員の出席のもと創立四十周年記念式典を開催し、長年にわたり会の運営活動にご尽力いただいた功労者の表彰と佐藤正久参議院議員による講演会を実施した。講演は時宜にかなった内容で防衛意識の普及高揚になったと思慮する。
現下のコロナ禍では、総会の開催さえも儘ならず二ケ年連続で書面による議決となった。この忸怩たる思いの中で唯一実施できたのは「自衛隊カレンダー」を全会員に配布したことのみである。 東村山の名を全国に広められた志村けんさんが昨年三月にコロナウイルス感染症でご逝去され、当市は六月に名誉市民の称号を贈呈した。また、「志村けんさん銅像プロジェクト」が九月に発足し、今年六月二十六日に東村山駅東口の「志村けんの木」傍に、笑いと笑顔と希望の光の象徴として志村けんさんの銅像が建立されました。 |
記念式典に於ける功労者表彰 |
会長 倉林 辰雄 |
会報14号特集 シリーズ「地区協会の素顔」 |
東京都防衛協会会報14号(01.10.01)掲載 |
東村山市防衛協会は、昭和五十四年に設立され、今年末創立四十周年になる。
その間紆余曲折があり、会員数は平成二十七年には百七十名に減少していた。
平成二十八年の現体制発足に当たっては会員増勢と会則見直しが喫緊の課題であるとの方針を定め組織拡充に努めた。
会長を先頭にした関係各位のご協力により三百二十名の会員増勢を図れると共に会則の改正により会員ファーストの精神と市民との連携深化のための関係者の参画促進が図れる組織が構築できた。
昨年度は、自衛官募集支援に傾注した広報活動を行ったが、先ず自衛官募集看板(プラダンA1)を百枚作製し、市内全域に設置した。
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会報11号特集 散歩道 名所・名店 |
東京都防衛協会会報7号(30.1.1)掲載 |
八国山緑地は、東村山市北西部に位置する都立公園で、その八国山は、かつて八つの国を望むことができたことに由来します。 なお、当地は、新田義貞が鎌倉倒幕「久米川の戦い」で布陣したとされ、これに因んだ「将軍塚」石碑があります。 また、八国山麓の下宅部遺跡は、縄文時代以降の漆製品等が出土した低湿地遺跡で、「下宅部遺跡はっけんのもり(日本の歴史公園百選)」として整備公開されています。 北山公園は、八国山を背景にした自然公園(新東京百景)で、豊かな水と緑に囲まれ、初夏には150種類10万本の花菖蒲が咲き乱れ、毎年6月上旬に「東村山菖蒲まつり」が開催され多くの人々が訪れています。 |
北山公園の花菖蒲 |
正福寺地蔵堂は、室町時代(1407年)に建立とされた禅宗様建築の代表的遺構として都内唯一の国宝建築物です。 堂内には江戸時代の地蔵信仰による千体の小地蔵尊像が奉納されていて、毎年11月3日は、開帳日で一般見学ができる「地蔵まつり」が行われます。 |
正福寺地蔵堂 当地自慢のうどん |
当市は、その昔小麦生産量の多い小麦主食文化地帯で、うどんは、古くからハレの日の行事食で、現在でも冠婚葬祭などの祝い事や親戚の集まりにはうどんを出すことが多く、現在、市内に美味しい武蔵野うどん店が多いのはその名残で、ご当地グルメとして食通に好評となっています。 東京都会員の皆様のお越しをお待ちしています。 |
会長 倉林辰雄 |
会報7号特集 活動最前線 |
東京都防衛協会会報7号(30.1.1)掲載 |
5月の総会では、東京都防衛協会創立50周年記念表彰状の伝達を実施すると共に、自衛官募集等のパンフレットを会員に配布して自衛官募集の支援協力依頼を行った。
8月の富士総合火力演習見学には、新会員及び市民から人選した40名が参加して島嶼防衛の部隊展開等を見学した。その帰路車中で当会の目的や活動状況等の説明をして入会を勧誘したところその場で6名が入会された。 個人会員募集は、年間を通してあらゆる機会を捉えて実施し、今年度は36名が入会した。 また、法人会員の募集については、今年度の活動重点項目として役員会に諮り役員等に依頼し、会勢拡大に努めている。 防衛意識の普及等広報活動の一環として、2月には都協会に講師派遣を依頼しロータリクラブで講演会を予定している。 自衛隊に関する会員及び市民の見聞を広めるために防災航空祭等の部隊行事には積極的に参加するように傾注してきた。 |
会長 倉林辰雄 |
富士総合火力演習見学者一同 |
会報3号特集 活動最前線 |
東京都防衛協会会報3号(29.1.1)掲載 |
東村山市防衛協会は、倉林辰雄新会長の下、組織拡充に当たり、先ず会員の増員が喫緊で、かつ最優先であると考え、多方面に会員募集を働きかけて、今年度新会員320名の入会を獲得した。
また、執行体制を見直し総務部及び事業部を新設し、人事を刷新し、国会議員、市長及び都議会議員等を顧問等に追加委嘱し、諮問機関の充実を図ると共に、市議防衛連盟の結成を働きかけ起ち上げて、なおかつ、市議を役員に委嘱して、地元とより一層の連携の図れる新体制を確立した。 総会は126名が出席し、木原誠二前外務副大臣に「外交と防衛問題」、澤山正一東京都防衛協会理事長に「自衛隊員の災害派遣」について講演をお願いして、会員等の見聞を広めた。 また、富士総合火力演習、立川防災航空祭、観閲式は、新会員・市民を中心として例年の倍以上の人数が見学して理解を深めることができた。今後は、会員ファーストの原点に立ち返って、より一層の活性化・目的達成に繋がる地道な活動に努める所存である。 |
事務局長 藤ア文夫 |
立川防災航空祭 |
全国会報特集 東京都特集 |
全国防衛協会会報124号(25.10.1)掲載 |
東村山市防衛協会(川上純吉会長)は、八月三日、定期総会を開催した。総会は、自衛隊父兄会木下榮三東村山支部長のファンファーレで始まり、議案審議を経て、渡邊元旦東京都防衛協会理事長の祝辞があり、滞りなく終えた。そして、橋義洋東京都郷友会会長の講演会は、主に尖閣諸島問題について、限られた時間のなかで、コンパクトにまとめられた非常に興味深い講話であった。 懇親会は、川上会長の挨拶で始まり、来賓の渡部尚東村山市長、北久保眞道東京都議会議員の祝辞に続き、肥沼茂男東村山市議会議長の乾杯の音頭で始まり、懇親会半ばで陸上自衛隊小平学校竹井利和総務科長の祝辞があり、和気藹々のうちに閉会となった。 当協会は、富士総合火力演習を始め各種の自衛隊行事に市民及び会員を案内すると共に、定期総会に近隣自衛隊や自治体関係者等を招待して、自衛隊に対する理解・認識を深めると共に、市民・会員と自衛隊との一体感の醸成を図り、当協会と自治体・地方議員との交流を図り関係強化に努めた。 また、昨年九月、各副会長をチーフに、広報・連絡班、部隊行事見学・研修班、防衛講演会班の事業推進検討チームを編成し検討を重ねて、より一層の組織活性化を図るためには、更なる情報の提供、会員要望の把握、講演・部隊見学研修等の具体的な実施を図ることになった。 今総会では、全会員に対し、防協会会報・自衛隊イベントの予定表を配布することはもとより、会員の行事参加の希望把握に努めた。また、今総会での講演会もその一環であり、これ等のきめ細かい事業推進により、当協会の活性化・会員の増勢を図った。 |
(東村山防衛協会事務局) |
全国会報特集 東京都特集「各防衛協会 活動中」 |
全国防衛協会会報116号(23.10.1)掲載 |
東村山防衛協会(川上純吉会長)は7月26日、市内三光寿司において勉強会を実施した。 協会から自由民主党、ロータリークラブ、青年会議所、商工会青年部等に呼び掛けて開催された本勉強会は、市内各界の20名が参加した。 講師に東村山市在住で第一次イラク戦争開始時のイラク駐在武官、後に自衛隊調査学校長も務めた、東京都郷友連盟会長の橋義洋を招き「歴史認識と国防意識」とのテーマで講演を聴き、大東亜戦争は侵略戦争であったのか、戦後の原点としての「ポツダム宣言」及び占領軍の行った「歴史の抹殺」と「新しい歴史の発明」などについて勉強した。 また10月19日には大変活発に活動している老人クラブ連合会(全国組織と48の子組織、355名が在籍)の行事があり、毎年中央公民館で3日間に亘り華々しく行われる機会を捉え、川上会長の斡旋で第1音楽隊を招くとともに、東日本大震災における支援活動の様子を伝えるパネル展、DVD放映を行う他、自衛官採用及び防衛協会会員募集の各募集コーナーを設ける予定である。 |
全国会報特集 東京都特集「各防衛協会 活動中」 |
全国防衛協会会報112号(22.10.1)掲載 |
東村山市防衛協会(川上純吉会長)は近年会員の減少が続き、財政的にも運営困難が案じられ、会勢挽回に腐心して参りました。 パンフレット配布による増勢運動を展開したり、DVDの貸出と見る会を開催するなどの努力を続けております。 先の大戦を戦った人たちである従来の会員は会の趣旨を理解していましたが、最近の会員は行事の見学に惹かれて入会した者が多く、今年は総火演の見学も実施しましたが、行事見学に飽きると退会し防衛思想の普及までは、中々至らないと感じております。 新年会・総会に講演会を組み合わせ努力していますが、現在の生活に追われる市民はもちろん、ゆとりのある人々も観光や歓楽、軽薄な政治とマスコミにに目を奪われています。 このような中、防衛協会を理解し会員になり、更には中核として育って貰うためには、更なる工夫と努力が必要と気を引き締めております。 |
事務局 |
東京都防衛協会創立40周年特集 |
全国防衛協会会報97号(19.1.19)掲載 |
頭痛める新会員の獲得 |
東村山市防衛協会は、昭和52、3年頃、当時の陸自第1師団が、担当警備隊区全てに防衛協会の設立を企図。 小平業務隊補給科勤務で東村山在住のPTA・青少対会長の菊氏が、東村山市隊区担当の1普連長に、市長及び市民に信望の厚い林久敬(梅岩寺住職)氏を紹介。 隊友会に協力を打診したところ断られ、自民党からも協力の色よい返事なく、菊氏個人の人脈で100人足らずを目標に設立準備を始めた。 その後、自民党から協力する旨の連絡があり、市議団が直接設立に係われないところから、同党後援会の約50人ほど発起人推薦があった。1普連広報幹部や小平業務隊長の応援・協力下、会合を重ね、旧軍歴を持つ人々を主体に412名の会員が集まり、小山宗一氏(元市助役)を会長に選任、練馬駐屯地食堂で設立総会を開催。 こうした苦労を重ねながら増勢に努め、現在618名。しかし、高齢者の逝去、加えるに自民党内の諸事情などの影響で半減、会を支える事務局員の高齢化もあって、思うに任せぬ会員獲得に頭を痛めているのが現状である。 |